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守屋さんと地域 01 ……日本画家・守屋多々志と地域とのつながり……
平成18年度後期ぎふNPOはつらつファンド助成事業(※1)に付随するDAJA自主企画
※1:「デジタルアーカイブを用いた地域ミュージアム振興事業」

 御菓子つちや(株式会社 槌谷)社長・槌谷祐哉さんインタビュー
 日時:2007年8月10日(金)10時〜11時半
 場所:つちや三城店

御菓子つちやは宝暦五年(1755年)の創業。ちょうど宝暦治水工事が完成した翌年に、屋号「柏屋光章」として始まった。現在の社長・槌谷祐哉さんは九代目。つちやでは店主「祐七」という名前を代々世襲しており、八代目・祐七(旧名 祐樹)さんは祐哉さんの父、そして七代目・祐七(旧名 祐太郎)さんは祖父に当たる。

七代目・祐七さんは戦後の焼け野原から店を立て直し、つちや“中興の祖”と言われた人。守屋さんと特に親交が深かったのも、この七代目・祐七さん。御菓子のパッケージの意匠やいろいろな図案を守屋さんに相談しては、描いてもらっていた。みんなで郷土出身の画家を応援していこうという風潮が当時、地域の店々にあり、いまも見られる田中屋せんべい総本家の缶や包装紙などの絵柄もこの頃、守屋さんによって描かれたもの。子どもの頃に祐哉さんも何度かおじいさんに連れられ、鎌倉の守屋さんのアトリエにうかがったという。



ところで、つちやの「柿羊羹」は四代目が創作し、五代目から(現在に通ずる)竹の容器にいれられた。竹にいれるアイデアは、五代目の親友でもあった池田町出身の全国的な竹研究家・坪井伊助の助言により、原料となる柿との相性を科学的に考えての結果という。そして、もちろん柿は昔からこの地域・風土の特産品。人々が現在なんの気なしに見ている商品や容器にも、しっかりと歴史や必然性が備わっているあたりは老舗のおもしろみ、七代目・祐七さんと研究熱心な守屋さんとの弾んだ会話がいろいろ想像されもする。

つちやでは毎年、柿の栽培から最終工程までを一貫して手がけており、まさに「柿羊羹」は代表銘菓。そんな意味からも先頃、市内のアル・プラザへの出店の際には中央の柱に、守屋さんの筆による柿の木をシンボリックに大きく配置した。柿の御菓子といえば「つちや」というイメージを今後、さらに広めてゆけたらと祐哉さんは語る。



好きな言葉は「伝統は革新の連続である」。老舗といえども、古いものを守るだけでは商売にならない。洋菓子の技法をつかった和菓子であるとか(調べてみると、しかし和菓子はもともと和洋ハイブリッドなものであったらしい)和をつかった洋菓子であるとか。特に先代あたりから“和菓子屋ではなく(もっと普遍的に)御菓子屋に”といった傾向が実際、強まっているとのこと。

考えてみれば守屋さんも、しっかり日本画/歴史画の伝統のなかにありながら「ウィーンに六段の調(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)」や「ポトマック河畔の福沢諭吉」など数々、モチーフ的にも絵柄的にもモダンでハイブリッドで、ユニークな仕事をされている画家。大垣というまちの将来的(あるいは本来的)イメージともダブらせながら、その資産をこれから未来に向けてさらに有効活用してゆけたらと思う。そして「最後に」と祐哉さん。「大作もいいですが、我田引水するつもりはありませんが弊社にも残されているスケッチ類のような、ちょっとした小品に見られる独特な守屋さんらしさにも私、とても惹かれます」。


インタビュアー:田中美穗(DAJA市民スタッフ)
文責:清水麗軌(DAJA事務局)
※ 文章の無断複製を禁じます。転載等ご希望の際はDAJAまでご一報ください。

《雑感》
7月中旬に地元新聞に載った「守屋画伯の絵使用 オリジナル風呂敷製作」の記事を目にして早速、お話をうかがってまいりました。品物を包む、さらりとした絵柄の風呂敷(数量限定とのこと)。そしてお話のあと、見せていただいた守屋さんによる原画の数々。画家なりの工夫やこだわりの詰まった断片が、たくさん箱の中にありました。画家のちょっとした小品や、サイドワークの味。こんな美術鑑賞もまた、なるほど楽しからずや。

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